楽しみと楽しさと目標と目的意識と『「狂い」のすすめ』
ブログを書き始めて、はや6日になる。
細かい修正を連発したり、毎日新しい機能を使ってみようとgoogle先生とガイド&ヘルプ師匠に首っぴきで、新しいことをするということはかくも面倒であったのか*1、と四苦八苦しつつもブログという新しい玩具をどれだけいじくり回して遊べるか、という楽しみは少なからずある。
試してないこともまだ沢山ある。「自分だけの何物かを作る」というのはある時期からゲーム業界において標語じみた風情さえあるが、そこに一定の面白さがあることは間違いない。
――しかして、ここ数日のブログ中心の生活は若干問題だと自分で思う。具体的には日々の雑事をこなしている間も頭の中ではブログの事(これから書こうとする記事のアイデア、既に書いた記事の修正案など)が常に飛び交い、覚えている内にメモしなければという思考に囚われるのである。録画した『ドラゴンナイト』も早く見て感想をと(自分に)急かされているような気分にもなる。これはいまいちよくない傾向だ。
ひろさちや氏の新書『「狂い」のすすめ』において、「人生に目的意識を持つな!」といった感じの章節がある。そこではノーベル賞作家の随想『エピクロスの園』に収録された「人と精」という寓話が紹介されている。内容を要約すると、
”目的意識に沿って生きると糸毬を解くようにあっという間に老いて死ぬ” (極論)
ということだ。若干違うかもしれない。
先月末(9/30)から2週間ほどでの事だ。ヒラコーの『ドリフターズ』第2巻を求め私は勇んで書店に向かった。しかし数件巡っても見つからず最後の店で延期を知らされ、その翌日から発売日(10/13)までは気もそぞろに過ごした。
ここ数年ほどを振り返れば、一月の間をラノベや漫画の新刊発売サイクル*2に沿うように生活していたように思い――楽しみに待つことも良いが、その間に楽しさを感じないというのは違うのではないか。待つ間をいかに楽しむか、楽しくするのかという命題が提起される。
私が本ブログを始めた動機のひとつは、書くことを日々訓練することで(いつか書きたい何かに向けての)筆力向上と筆不精の改善などがある。書くことは目標の為の行為だが、それ自体に楽しめる要素があるのも事実。
書かなければならないという思いに拘束されるのも、書こうと思うことに思考を占められるのもうまくない。楽しく書くべき。書くことを楽しむべき……「べき」論でなんとかなるか甚だ疑問だが。少なくとも、
――着想の引き出しは溜め込まずさっさと書くべし。そして頭を空にしてさっさと寝るべし。
うん? 前半、どこか誰かのブログで似たような文言を聞いたような。誰だったかな……しまった。今日『アリエネ』が載る「スピリッツ」まだ読んでない。まあいいや明日で。「FLASH」*3の『絶薬』に「イブニング」の『もやしもん』『ブッシメン』とかまとめていけばオーケーっ。