ALORC-Bottle-Craft-512-Logbook(Ⅱ)

AよりRへ。記録を継続する。(二冊目)

「少女と巨大ロボット」又それに類する組み合わせを何故私は好むのか。


(ttp://www.game3.jp/genre/simulation/jfb0005/14/)

 この頃「にじふぁん」とかで広告バナーを頻繁に見て興味を引かれ、決してネットゲームの類はやるまいと思っていた天秤が、武装神姫(バトルロンド)に出会った頃と同じくらい揺らいでいる。『CYBER ONE』もだったかな。嗚呼カードゲームがやりたい。ロハで(爆)

―――率直に言って、私はバトル物戦闘物戦争物において戦装束を纏い武器を取る少女というモチーフが好きだ。諸君、私は戦う美少女が好きだ。諸君、私は戦う美少女が大好きだ。

―――だが一方で、私の中で何かが納得し切れていない。何故好きなのだろう? 好きなのは間違いの無い事だが、どうしてそれが是となり得るのだろう。SS脳らしく傍証を引用してみるとだ、

(http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=toraha&all=6957&n=18#kiji)

「あんな?いままできついこと言わなかったけどな?それは『組織』に属すだけの精神は持ってると思ってたから、だ」

ああもうだからミッドなんか大ッ嫌いなんだよ!18にもなってない子供じゃなぐれもしねえよ!くそ!

「いいか?これは『仕事』だ、命かかった、な?それで足ひっぱる行動とか、戦友を仲間と思えないだと?挙句の果てに『言ってくれなかったから分かりませんでした』?社会なめてんだろ?」

「「「「…」」」」

「シャーリーの映像みて気が付くなよ。誰だって過去はあんだよ、エースだって躓いて今があるんだ、想像もできなかったとかぬかすなよ?」

こんなこといいたかねえんだよ!お前らはまだ親の金で学校いって人との付き合いとか、一生の友とかと会っててりゃあいいんだよ!

(http://www.mai-net.net/bbs/sst/sst.php?act=dump&cate=etc&all=6859&n=3#kiji)

 それじゃ、しょうがないかな、なんて悲しそうに苦笑しながら。

「ミーナに言ってさ、安全な後方に送ってもらうよ。そこでゆっくり身体を治せば、きっと記憶も戻ってくるから」

 絶対この年齢の女の子がしないような表情で。
 絶対この年齢の女の子が言わないような台詞を言う。

「大丈夫、ネウロイは私達が絶対に食い止めてみせる。ここから先には進ませないし、これ以上街を焼かせもしない」

 ――――おいおい、そんな顔でそんなこと言われちゃあさ。オレも覚悟決めなきゃ駄目だろ。

「カールスラントも、絶対に取り返してみせる。だから、ヴィルヘルミナは、安心して――」
「断る」

―――女子供が戦う場に立つ事を忌む心持ち。結果として少女たちの命が喪われる事を忌む心持ち。
 それは諸作品の前提となる舞台設定を根本から拒絶している、と言えるのか否か。

 『スパロボ』参加作品については何を況や、『ガンダム』の以前より少年少女がロボットを駆り戦う例には事欠かない。『マブラヴ(UL→AL/TE)』にあっては男性が減少して女性が軍務に就かずして員数が整わなくなった。『ストライクウィッチーズ』に至っては敵に対する最大戦力=魔力を備えた少女(ウィッチ)という有り様。先行する『サクラ大戦』も似た傾向か。
 一方『インフィニット・ストラトス』では逆に女性しか扱えない筈の兵器を男性の主人公がただ一人扱えてしまった……と展開する。そういえば何時の間にやら「魔法少女」また「変身ヒロイン」とは確定的に、“敵”と“戦う”存在となっているな。それが悪いという気はさほど起こらないのだが……ならどうしてこんな議題をぶち上げているのかという話だ。筋が通らずぐっちゃぐっちゃに。

―――この上“フェミニズム”と口にすると、自分でもわけがわからなくなる。自分が何を擁護し何に反対しているのか、己を精査して表明などしたくもない。おいおいブログに書いていてそれは矛盾してないか? かといって自分何かを好きという気持ちを、理論という俎上で分析という包丁で以って解体したいとまでは思っていないのだ。

―――『デュエルファイター刃』、4巻のエピソードだったか。ヒロインに惚れているチームメイトが、決して仲の良くなかった主人公を囚われの彼女を助ける道に一人送り出した場面。“自分が好きになった彼女の姿は常に主人公の方を向いていた”……とか最初から負けていたのようなもので、でも好きなんだ的などうしようもない感情を追っ手に叩き込んでいた(曲解)。

 自分にとって良くない、好ましくない、受け入れられない要素があった(できた)として、それで何もかもを嫌いになれるか、好きという気持ちを無にできるか。
 少なくとも私は、私が好きな戦闘少女について……彼女たちが戦いの中で心身傷つき、命さえ喪ってしまう事があったとして、作品を見なかったことにしたいとは思わない。どちらかと言えばカップリングが受け止め難かった時の方が問題だ。
 ただ、一次作品なら二次創作、二次創作なら……また別の二次を探すだろうが、彼女たちが傷つかない可能性IFを望むことはままある。それはまあ、彼女たちを好いたからこその話である。あるいは二次創作から入って原作に触れることなく、危機の回避された物語こそ自分にとっての真実と歪曲することも。そして彼女たちが戦わなければならない前提そのもの、過去の所以であるとか、世界設定そのものだとかを捻じ曲げ、破壊するかもしれない。

―――はたしてそこまですると、作品が好きなのではなく戦闘少女が好きなのであり、戦わなくても少女が好きだということになる。しかしてそれで原典が無くなる訳ではなく、その中で戦闘少女は戦闘少女であり続ける。そうでなくてはそこまでしない。鶏が先か卵が先か、どちらが鶏でどちらが卵か。いずれにせよ原典なくして私が少女に出逢うことは無い。


 Web版『パワードールズ』をやりたくなった私が実際にやるとして、私は原典も背景も無い少女と出会う(作り出す)所から始めなければならない。そうして生み出された少女をパイロットとして戦場に送り込まねばならない。その過程で愛着を抱こうと抱くまいと、少女は戦わなければ意義を持たない存在である。否、プレイヤーたる私には少女を戦わせないという選択肢もある。だがそうすると、何故このゲームをやるのかという事になる。何故『パワードールズ』から少女を生み出したのかという事になる。そもそも広告バナーの内容に比して、このゲームは少女一人と関係を深める代物であろうか。
 はてさて、結局私は『パワードールズ』をやるのだろうか。今はまだ、わからない。
 やるまでずっと、わからない。


―――私は何かを書きたい、書けるようになりたいとブログを始めた。その中には一次二次を問わず、少女が戦う類のものも含まれている。自ら手塩にかけて生み出す少女を、何の故に私は戦いの渦中に叩き込むのだろう。そういうのが好きだからだ。しかしその果てに身を削り命を砕く様を、どうして好きこのんで描けるだろう。なんとも行く先不明の自問自答である。

 省みるに、ここまでの出鱈目な筋立ては戦闘少女に限らず、役目を同じくする「巨大ロボット」にも通じる。敵と戦い損耗し合って、いつか粉砕爆散停止するかもしれない存在を、どうして精緻に作り込むことができるのだろう。どうして戦う為に造り出された存在に、人間と交流する知性理性感性を与えられるのだろう。『ARMS』でこれは何時の台詞だったか、

「只の道具なら、何故……心など与えたの」(キース・バイオレット)

 単なる道具と思えないから、心は与えられた。単なる兵器と思えないから、喪われる事が哀しい。二次元の虚像に過ぎないとしても、心の柔らかい場所に住み着いた存在であるから悼み、痛むのだ。
 それでもなお、「彼ら」彼女らは戦場で戦わなければならない。そうでなくては物語が始まらず、出会うことも好きになる事も無い。それが為に闘争が是とされるのは業腹。しかしバトル物アクション物もそれなりに好きで、巨大ロボットが活躍した日には心が躍る。そんな感性を何時か生まれた何処からか私も受け継いでいる。
 はたして私の「好き」とは、どんな「好き」か。生者必滅にして諸行は無常、いかな経過を辿ろうと最終的結末は同じ。その過程で本懐を遂げさせない事が、いざという時に動けもしない張子の虎にする事が私の「好き」なのであろうか。否、否の否の否。少なくともそればかりが私の「好き」なのではない。彼ら彼女らの「ぼくらの時間」を、その中で育まれるものを丸ごと否定するのが本意なのではない。

―――たとえば、今年は殊にリアルのスポーツで、人生をかけた練磨その精髄を尊ぶ心持ち。たとえ時間が必ずそれを衰えさせるとしても、絶頂にあってなお上を往く「修羅」がそれを打ち砕くとしても。どうして懸命に打ち込む気概を、その始まりの気持ちを無意味だと断じられよう。こんなブログ書いてこんな記事書いてる身で。

 「好き」という気持ち、その起こりは理論が先立たず、あとから理論付けが上手くいかなかろうと「好き」なことに変わりがない。変わりようがない。ここまで書いておいて結局それかと。整理がついたような、つかなかったような陳腐。ともかくも、ひとまず幕引き。

 JAM Projectの曲の様に熱く燃え盛り、勇者シリーズの様に心昂ぶり、時に童謡の様に穏やかに、時に『BLACKLAGOON』の様にエグく黄昏て、『最終兵器彼女』の様に終末的に燃え尽きる。
 “そして、あとにはまっ白な灰だけがのこる……”。ガンダムOO』第2期EDの如く、自然に埋もれて動く事のないガンダム。それが定めか、それが幸いか。私の答えは、まだ。