ALORC-Bottle-Craft-512-Logbook(Ⅱ)

AよりRへ。記録を継続する。(二冊目)

山田玲司『美大受験戦記 アリエネ』第17話――《ミューズの囁き/Whispers of the Muse》


月岡「だったら・・・キミはあたしを描ける?」

(第16話の感想はこちら)
 第17話「画家の娘」(2月20日発売ビッグコミックスピリッツ掲載)。今回は始終月岡弥生のターン。また埒もない妄想を抱いたかと思いきや、事態は妄想の斜め上を往く……。


(あらすじ)油絵講習の初日を終えた歌川有は、話があるという月岡弥生に連れられて彼女の家に。お手伝いまで居る豪邸に住む彼女の父は、裸婦ばかり描くプロの人物画家であった。二人はアトリエに入るが、留守。友達を連れてくるという約束をしていたのだが、モデル兼愛人の所に行っていたのだった。父にとって一度も描いた事のない自分は、モデルの女達より価値のない存在なのだと卑下する弥生。有は彼女を肯定しようとするが、それに弥生が返した言葉は……。(あらすじ終了)


―――試されているのは男としてか、受験生としてか、はたまた芸術家としてか。

 アート知識に疎い有をしてさえ「見たことある」と言わしめる、人物画で日本トップ3に入る月岡英二郎氏……どちらかというと知名度よりも、裸婦画や女にモテるという要素から、有の祖父を想わせる要素がある。有が弥生の非難・愚痴から弁護しようとしたのも、プロへの尊敬以上にそういった親近感からくるのかもしれない。彼は家族に、祖父に愛されて育った。
 その一方、弥生は家庭面で寂しい思いをしてきた。父は女にかまけて家を開けてばかりで、母も会社に入れ込んでいる。アトリエに沢山の裸婦画があっても、娘を描いた絵は一枚も無い……。


「昔から「芸術」なんて・・・「スケベ心」の言い訳よ・・・」


 クールベやマネ以前の西洋絵画は、描く方も描かせる方も裸見たさで神話から『ヴィーナスの誕生』や『フリュネ』といったエロい題材を採ってきたのだ、と画家の娘はぶち上げる*1。芸術への意識高い月岡弥生らしい物言いだが、親が親だから詳しい、というのは事実の半分しか言い表せていない。
 そういう歴史的経緯を学ぼうと思うのは、ひとえに彼女が父のことを理解したかったからだと推量する。学んだ結果が先述の批判であったとしても、最初の動機はそうであったのではないかと。あるいは現在、彼女が絵を志す者である理由も。

 娘に「友達が居ないように見える」と、「一人の世界に閉じこもっていたらろくな絵が描けない」と言った父親。当人は「女友達」のモデルが十二人から居て、女の所に出かけてばかりという有り様ではあるが……先頃葛飾夢が速水遼平に惚れたセザンヌピサロの話を想わせて、聴いていた有も思い出したかもしれない。
 そして父に反発する娘はしかし約束通り友達を連れてきて、自分との約束が女に負けたと思い……父が裸のモデルを載せる台に座って、同年代の男に問うのだ。あたしを描けるか、と。それは捨て鉢か、意趣返しか。それとも。此処に直面させられた四色目の色……。

―――試されているのは男としてか、受験生としてか、はたまた芸術家としてか。

(後日付記:第18話感想はこちら)

*1:ただ、その場に現物があるわけでもなく、聞き手が未だ疎い有である。絵が見える読者視点とは異なり、彼は弥生の言葉とアトリエの裸婦画の印象だけでイメージする他なかろう。要は彼には教わる事への疑念が無く、検証性が無い。これまでの夢とのアート関連の話をする時もそういう所があるが……技術面の向上と同等にその辺の不勉強は要改善としても、いつのことになるだろうと。もしくは余計な風の無い素直な素人路線か。